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On Indian Philosophy and Buddhist Studies

JNA

いつものように,youtube視聴.

21:45からだと,頭はたらかないですからね.

録画で朝に見たほうがいいです.

来週が,ようやく最終回だそうです.

さすがに,最終回は,生視聴するつもりです.

難しいので,さすがに,こまごまとしたところは,間違っているくさいところは,ありますが,まあ,この手のものとは,とりあえず先に進んでみる,というのが大事ですからね.

あとから見直せば,わかるものです.

pramāṇanirūpaṇe na

は,

pramāṇanirūpaṇena

でしょう.先週のところ,今週に直すかと思いきや,そのままスルーでした.(ブログにあったのかもしれませんが.)

また,今週の最初の方の話者は,すべて,Jのほうですね.

Jの視点から,中観のあり方を解説しているので,これは,最後にハルが,e.saa.mとanyasyaで,すこし気づいてますけど.

asvātantryeṇa

は,内容上,

svātantryeṇa

でしょう.

写本の訂正後の読みのほうがいいです.

ともあれ,JNAのような難しい本は,ひとりだと読みとおす気力が続きませんからね.

こうやって,皆で読み会をしてくれると助かります.

とりあえず,毎週毎週は少しでも,積み上げると,かなりの量になりますから.

そして,この量は,ひとりだと無理です.

どこかで気力が切れますから.

というか,どこかでわからなくなって,そのままになる気がします.

つまずくポイントが多すぎますから.

色々なレベルの問題がありますし.

写本,

構文,

そして,論証.

それに,話者の入れ替わり.

誰が喋っているの?となりますからね.

そうすると,当然,読みの選択にも関わるわけです.

自転車レースや,魚の群れと同じで,群れで進むと,やはり楽です.

とりあえず,気を抜いていいところは,何も考えずに,先頭にくっついていって,体力温存しておけばいいですから.

ここぞ,という難しいところだけ,頭働かせばいいですから.

とりあえず,JNA SAKARA 5の完走が見えてきたので,うれしい限りです.

普通に考えて,一人で読み切れる人は,この世に多くはないでしょうし.

にしても,こんなものを,かなりのレベルの高さで大量にエディットするとは,タークルは根性ですね.

来週は,子供が家にいる時間らしく,「乱入してくるかも」だそうです.

にぎやかになるかもです.

そういえば,いつかの回では,ハルの眼鏡が(踏まれて壊された様子で)半壊してましたからね.

そして,次の週には,全壊してました.
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博論

博論を本にするのが普通で,そのあとは,就職して皆さん忙しくなって,本も出さなくなりますから,意外に,博論がその分野の定番になっているということはあるでしょう.

しかし,考えても見れば,30歳くらいですからね.

我々の分野では,まだまだ未熟です.

勢いはありますけど.

整理した状態で見ると,あらいところも目に付くのは当然.

本として先行研究として出た以上,後の人にとっては,それが,当時に若造が書いたのかどうかは関係ないですからね.

正しいか間違っているか.

それだけです.

よくよく見ると,あらだらけ,穴だらけですね.

いやはや.

遠くから眺めておくのにとどめておいた方がしあわせだったかもしれません.

ちかづいてみると,うーむ,という感じです.

いちおう,定番になっている以上は,言及して訂正しないわけにはいかないでしょうしね.

ひと手間増えます.

これが,ダルマキールティ言うところのsamaaropa-vyavacchedaでしょうか.

知覚でダイレクトに見てしまえば.推論とかいらんやろ,となりますね.

まあ,しかし,写本の異読チェックも,結局,目的は,間違いの訂正ですからね.

解釈においても人の間違いに付き合うのはこの商売の定めですね.

人はいかにして間違うのか,という失敗学の観点から楽しむしかありません.

だいたい,柔軟性をうしなって,いらん標語とか持ち出したりすると,その看板に振り回されて,文献事実が見えなくなって,目が曇ってしまうようです.

そういえば,昔も,そういう例を見ましたね.

あんまり,自分自身の「売り」みたいな解釈は作らないほうがいいです.

柔軟性が失われますから.

引っ込みがつかなくなるんでしょうね.

無理矢理の解釈を持ち出すことになって,もう,破綻しまくりますから.
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インド思想史学会

インド思想史学会 第28回(2021年度)学術大会

2021年12月25日(土)13:00

Zoomによるオンライン開催


13:00 ~ 13:50 繆 寿楽(日本学術振興会特別研究員DC/広島大学大学院)
「ダルモーッタラにおける「知覚可能性」の二重性」

13:50 ~ 14:40 谷口力光(東京大学大学院博士課程)
「vyavahāracatuṣpādatva解釈史が示唆する法廷概念の変遷」

14:40 ~ 15:30 虫賀幹華(日本学術振興会特別研究員PD/京都大学大学院)
「ヒンドゥー聖地の発展過程
―ガヤーにおけるシヴァ派からヴィシュヌ派への移行―」

***** 休 憩 *****

16:00 ~ 16:50 坪田さより(大阪大学大学院/日本学術振興会特別研究員DC2)
「Pratyavarohaṇīya「戻り降りの儀礼」について
―Vādhūla-Śrautasūtra第9章の記述を中心に―」

16:50 ~ 17:40 天野恭子(京都大学白眉センター・人文科学研究所特定准教授)
「Maitrāyaṇī Sahitā IV 14 (kāmya-paśuのためのc)とgveda I巻」




前半の司会が私.

後半は梶原さん.

にしても,みなさん,DC,PD,白眉で,景気が良いですね.
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カルドナ先生の記念論集



ピーターから最終の校正連絡.

日本人も沢山書いてますね.

もちろん,ペン大博士号の小林さんも.

あとは,もちろん,文法学関連の方々も.

わたしとかは,印欧語でもヴェーダでも言語学でも文法学でもなく,少し外れますから,シャーブダボーダ関連で,括られてます.

しかし,ピーター,さすが,テフニシャン.

きれいなつくりです.

書く側としては,楽ちんです.

全部きれいにやってくれてますし,ビブリオ関係の統一も,わたしは丸投げ状態でした.

なにより,最初からテフ原稿で渡せるのは,図表の点で,意図したものが出るので楽です.

ワードでやると,どうしても,後から,整形しないとズレたりしますからね.

印仏も,いまだに,ワード限定ですし.

なんなんでしょうね,あれ.

まあ,テフで渡してもOKですと言われても,信用できないので,逆に怖くて出せませんけど.(なんか,一時期,そういう時期があったように記憶してますけど,逆にややこしくなりそうなので,やりませんでした.)

うちの近隣だと,インド思想史学会の雑誌とかでしょうか,テフ限定は.

どの雑誌かによって,最初から,ワードで書くかテフで書くか,ある程度,考えておかないといけません.

あとから変換するのは,手間がかかりますからね.

でっかい図表とか,最初から書き直しですし.
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印哲のシャブ中



言葉,シャブダ.

言葉に基づく知,シャーブダ・ボーダ.

インド哲学では,文意論は,ミーマーンサーの十八番.

それが,シャーリカナータ,ヴァーチャスパティ,ガンゲーシャを経て,ナヴィヤニヤーヤに流れ込んで,今の今に至ります.

つまり,シャーブダボーダは,インドのナヴィヤニヤーヤの伝統において,いまだ大きなトピックで,好んで,パンディット会議でも取り上げられる話題です.

実際,私の師匠のひとりでもある,N.S.R.Tatacharyaは,シャーブダボーダと題した大きなサンスクリット本を書いています.

三巻本.

そういえば,むかし,これの書評を書いてくれと頼まれましたが,恐れ多い,そんなことさすがにできません.

全部サンスクリットの三巻全部を読み切る暇も,もちろん,ありませんでしたし.

というわけで,シャーブダボーダ,つまりは文意論ですけど,それは,ホットなトピックです.

仏教論理学・認識論あたりから入ると,なにか,知覚論あたりが凄いと思いがちですけど,インド哲学という枠組みで見れば,シャーブダボーダ,つまり,文意論のほうが,はるかに花形だと言えるでしょう.

やってて面白いのは,やった人には分かるでしょうけど.

いまだ,日本語では,それほど紹介されてないですけど.

岩崎氏が講演で,シャーブダボーダをするとのこと.

彼も,ナヴィヤのシャブ中のひとり,ということでしょう.

わたしは,それの元になったほうの,ミーマーンサーの文意論が,関心対象のひとつ.

そもそも,昔は,シャーブダボーダという言い方も,まだ固まってませんでしたからね.

論題を言い表すのに「文」や「文意」というほうが一般的です.

あるいは,ミーマーンサーの伝統では,スートラの頭を取って「tadbhuuta論題」とも言います.

知覚
推論
証言

とあると,成熟したインド哲学で面白いのは,やはり,証言でしょう.

これって,シャーンタラクシタのTS見ても分かりますけど,TSの最後は,クマーリラなどのミーマーンサーの聖典論・言葉論・宗教権威論に40%以上を費やしてますからね.

これも,言葉にまつわる問題です.(TSでは,文意論は出てきませんけど.)

ジャヤンタのNMを見ても,証言章で,いろんな話が展開されています.

言語論的転回をする必要がなかったのがインド哲学だと言ってよいでしょう.

文法学見ても分かるように,最初から,言葉の分析が最も大事ですから.
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表現の模索



言いたいことを的確に言い表す既成の表現がない場合,それを言い表そうともがく著者の姿が垣間見えます.

特に,自分自身の思想を言い表そうとする場合,それが,先行する人たちと違う場合,どうしても,自分の言葉を作り出すことになります.

バルトリハリを読むと,彼自身の独自の言い方だろうと思われるものに,しばしば遭遇します.

それは,紀元後1000年あたりの固まった表現とは全くことなるものです.

もがきながら到達した一つの表現です.

ダルマキールティのPVSVも,そのような著作のひとつでしょう.

ときどき,こんなことが言いたいんだな,と思いながら,見慣れない表現を,読み手である私は,寛容に理解してあげることになります.

協力的に読んであげないといけません.

既存の表現がないわけで,しかし,言いたいことは明確にあるわけで,それを何とか読者に伝えようと,いわば「つたない」表現で,より身体的な表現で,なんとか言い表そうとしているわけです.

密教の初期文献が,生々しいのと似ているかもしれません.

注釈者ならば,その後に整理される体系にそって,厳密に定義された的確な用語・術語をあてて,その事態をうまく表現できるでしょうけど,そのような表現がいまだ固まってない草創期においては,まだ冷えて固まらない熱い流動する金のように,どろどろした表現が,そこに流れ出しているわけです.

ダルマキールティがたまに用いる,ある種の身体的・物理的な表現は,まさに,このような,生々しく未熟な言葉の生れ出る瞬間を記録したものと受け取ることができます.

体系が固まって,既成の概念枠をあっちこっち自由自在に行き来するジュニャーナシュリー(和風に略すならジュリー?)とは,まったく異なる風景が,ダルマキールティのPVSVには広がっています.

それは,面白さでもあり,難しさでもあります.

PVSVが敬遠されてきたのも,無理はありません.

それは,読み手に,格闘を要求しますから.

仏教論理学の伝統の歴史の,いわば,最初と最後.

ダルマキールティとジュニャーナシュリー.

今期は,同じ伝統に属しながらも,まったく文体の異なるこの二つを読んでいます.

ダンスはダンスでも,フリーな創作ダンスと,がちがちのカラークシェートラ風のバラタナーティヤムとを,同時に習うような感じでしょうか.

あるいは,フュージョン系とかっちりした和風の懐石とを楽しむようなものでしょうか.
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無常性の分別は正しいのか?



「これは無常だ」「これの無常性」という分別知は正しいのでしょうか?

分別知は本質的に錯誤しています.

しかし,この場合,間接的に実在の知覚に基いています.

したがって,この分別は,他の認識手段と食い違わないわけです.

逆に,「これは常住だ」というのは,明らかに食い違いがあるので,間違いも間違い,全然間違っています.

1.非錯誤知
2.錯誤知
  2.1.食い違わない知;「これは無常」「これの無常性」
  2.2.食い違う知:「これは常住」「これの常住性」
  
2.1については,もちろん,仏教の主張ですから,重要なわけです.

しかし,知覚の対象である独自相のみが実在なわけで,属性は実在ではないので,どのようにして,「これの無常性」という分別・表現を正当化するのか,という課題が,ダルマキールティにはのしかかってくるわけです.

仏教の命題が「錯誤している」ということになりかねませんから.

というわけで,微妙な表現が用いられることになります.

「独自相に無常性等が存在しないわけではない」

と始まります.

これを聞くと,無常性等という属性が実在としてあるかのように聞こえてしまいます.

しかし,もちろん,ダルマキールティのオントロジーにおいて,属性が実在としてあるわけではありません.

では,どのように説明するのか?

「なぜなら,無常性なる何らかのものが,移り変わる実在と別に[あるわけでは]ないからである.」

とダルマキールティは続けます.

無常性
  ||
無常な実在

ここで,無常な実在の上に無常性があるという基体・属性の関係,すなわち,上下が異なるという見方が否定されます.

実際には,上下は一つなわけです.

一体.

上下の属性・基体に分けて理解するのは,あくまでも,そのような発話意図があるからです.

というわけで,無常な実在とは別個に,異なるものとして,無常性があるわけではなく,無常性というのも,その実,無常なものそのものなわけです.

まず,刹那的な存在を知覚します.

そして,後から,それを分別して,「これは無常」「これの無常性」と分別します.

この分別は,知覚に基いています.

独自相の属性だけに注目することで,基体に様々な属性があると分別したり,様々なものが同じ一つの属性を持つと分別したり,また,基体と別に属性があるとして「~の属性」と分別するわけです.

思い込みであることに変わりはありませんが,あくまでも,知覚に基いています.

その通りに把握しているわけです.

常住の場合は,分別は,知覚されたその通りに把握してないわけです.

ダルマキールティは続けます.

「そして,それら(多属性・一属性・[属性・基体の]違い)は,拠り所を欠いているわけではない.特定の独自相の知覚に基いているからである」.

常住性などと違って,無常性というのは,まったく根拠を欠いているわけではありません.

見た通りに,その知覚の能力に基いて,その含意として間接的に,このような分別が成立しているからです.

ダルマキールティは言います.

「[それらは]実在の属性でないことはない.そのような本性を持つ[実在]が,その通りに[分別知に]現れているからである」.

完全に間違いではないわけです.

しかし,本質的には錯誤ですから,そのことは断っておかないといけません.

ダルマキールティは続けます.

「しかし実在についての,多・一・違いの把握は錯誤である」と.

錯誤の部分に関しては,主体の認識欲求つまり意図ということが関わってきます.

これについては,来週の授業で.

と思っていたら,来週は,院生の都合でお休み.

24日の晩が年内最後のダルマキールティになります.

18:30から.

石村君も参加してくれていて,PVSVTの写本をチェックしてくれているので助かります.

やはり,ひとり,テクストに気を配ってくれる人がいると助かります.

こっちは,学生の誤訳を直すのに忙しいですから.

ダルマキールティを理解する方が,学生の誤解を理解するより簡単です.

というわけで,人の誤解を理解する,よい訓練になります.

人間,誰しも,最初は,間違えるものですからね.

それを訂正していくことで,機械学習と同様,学習が成り立ちますから,間違い発見があるということは,いいことです.

成長とは,修正ですから.

そういえば,アビダルマも,一個一個解脱する,というようなことを言ってましたね.

確定知とは,ダルマキールティによれば,でっちあげの排除ですから.

間違った思い込みを直すことが正しい推論知なわけです.
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アルダジャラティーヤ



先週はもろもろ立て込んで,気が付けば一週間.

JNAの講読のyoutubeも,すっかり忘れてしまっていました.

で,木曜日の晩.

このままだと一週間分貯まって,大変なことになるので,金曜日に先週分を視聴.

さらに今週分も.

あれこれと論証式の抽象的なやりとりなので,具体的に理解するのは,ややこしいところです.

問題となっているのは,

縁起しているので無自性だ.

という中観派の推論です.

Jから見ると,これは,

結果だから非有だ,反射像のように.

というのと同じです.

ここで,面白ことに,中観派のダブルスタンダードを指摘するのに「中年女性の比喩」(半分老けた女性の比喩)がでてきました.

さらに,いろいろな解説を見ると,面白いことを言っています.

或る男は,彼女のvaraa"ngaを求めているが,彼女を求めてはいない,というような解説でした.

なるほど.

人生,ヤマーリ谷あり.

カイヤタは,もうちょっと,マイルドな表現でした.

カマラシーラを読むにしてもそうですけど,Jも,論証規則にはもちろん通じていますし,抽象的な表現であれこれと簡潔に示唆しますから,読み手の我々も,論証規則にあらかじめ通じている必要があります.

でないと,チンプンカンプンでしょう.

現代哲学において論理記号に慣れてないと読めないものがあるのと同じです.

今週分のところは,Hejungの読みの切り方が間違ったので,それに応じで,かなり混乱が生じてますね.

.ne naではなく,.nenaでしょう.

それで,素直に読めます.

単純な,anvaya-vyatirekaの議論です.

難しく考えすぎです.

また,その後も,かなりややこしい表現になってますけど,話はそれほど難しいことは言ってないようです.

同時視聴でないので,いちいちコメントできないのがもどかしいですね.

ハルとマティアのことですから,来週には,ちゃんと正解が示されることでしょう.

また,ブログに書き込む人もたくさんいますし.
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アーユルヴェーダ文献のアシュタアンガサングラハですが,どうも読めないな,英訳も無理矢理だし,と思っていたら,須藤君が写本チェック.

やはり,というか,テキストが間違っていました.

まあ,難しいところですから,たしかに,間違いますね.

そして,案の定,変だなと思っていたところは,naがtaで,実際には過去分詞でした.

ですよね,という感じです.

それらしく英訳する前に,テクスト直せや,と思いますが,まあ,こんなものでしょう.

どの分野でも.

実際には,あれこれと間違いが潜んでそうです.

とくに,見慣れない単語のところ,ほかであまりパラレルがないところは,要注意です.

エディターも間違いますからね.

やはり,怪しいと思ったところは,テクストチェックしたほうが良いですね,なにごとも.
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ナビさんからユスフザイへ



そういえば、ナビさんに行った時のこと、例のインド人の若いほうが奥に、

店頭は日本人の女性がレジ。

どうも、いつものインド人のおじちゃんが見当たりません。(箱崎の元喫茶店だったナビさん本店時代からいた人です。)

大学校内のクアシスの店も、コロナで需要がガタ落ちですし、仕込みの為の人手が今は要りませんから、

おっちゃん、いなくなったのか、と思っていたのでした。

で、多の津のユスフザイ。

最近行ったら、そっちにいらっしゃいました。

「こっち来て何か月?」

と聞いたところ

「一か月」とのことでした。

マスジドつながりなのでしょうか。

エジプト人のナビさんの店から、パーキスターン人オーナーのユスフザイへ。

ちなみに、ユスフザイ、あの狭い厨房に、おっちゃん二人が仲良く働いています。

ナン釜までありますから、今は冬でいいですけど、あれは、夏は、相当に暑苦しいでしょう。

ベンガル人ですから、暑いのはある程度は慣れているのかもしれませんけど。

職場としては、ナビさん(伊都キャン傍マンション一階店)の広々厨房のほうが、快適でしょう。

ちなみに、ユスフザイ、ナンは日本人に寄せてないので、甘くもないし、ふわふわでもないので、安心できます。

冬なので、パヤがありました。

あったまります。
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さいとぴあ



2020.4から、いまのいままで、サークル活動も規制規制。

ようやく有観客の定例コンサートが許可。

3年生は、皆で集まった楽しい思い出といえば、2年前の夏の花火だそうです。

去年の夏も、今年の夏も、集まれる機会はなし。

ほんと、かわいそうで涙出てきます。

ようやく開けた定例のコンサート。

近くには卒業してまだ一年目の文学部OGの姿も。
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原先生 back in 2003.5.14



2003年5月14日、東大印哲でハリソン先生の講演会。

会場がえらくきれいですから、三号館の下あたりを借りてやったのでしょう。

原先生は、とっくに退官されていましたけど、講演会ということでお見えになられていました。

講演会後にハリソン先生と談笑される先生、という一コマ。

よく考えると、HariとHaraですから、ヴィシュヌとシヴァですね。

原先生がパーシュパタをやったのは、ちなんだのでしょうかね?

順正理論のような例もありますし。

しかし、反例としては、赤羽さんは律じゃなくて中観でしたけど。
  1. 2021/12/02(木) 23:38:08|
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仏青 back in 2005/4/17



伊都キャンになって、九大仏青の学生寮も、伊都キャン近くに移転。

名島の敷地は一部がマンションになって、一部が、新装開店の仏青クリニックに。

写真は、改装前のかつての仏青クリニック。

二階は広々としたスペースで、そういえば、東大仏青で講演旅行したときに、ここで、戸崎先生ほか、寮生の歓待を受けて、一緒に、もつ鍋を食べた記憶があります。

面白い先生もいるものだ、というのが戸崎先生と初めてお会いした時の印象。(その時まだ私は学部生。)

戸崎先生の九大定年退官が1993年。

訪問したのは、確か1991か92あたりだったでしょうから、まだ、戸崎先生がぎりぎり九大にいらっしゃった時に当たります。(ちなみに、1990年5月が,九大と広大が主催の西日本インド学仏教学会第一回学術大会 in 志賀島です。)

もつ鍋を食べて十数年後に、まさか、あっちこっちを経て、九大に来ることになろうとは、夢にも思いませんでした。

人間、何がどうなるか、わからんもんです。

当然ですが、学部の時に、戸崎 1985, 88の本のことなど、まったく知らなかったです。
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タンドゥーリー back in 2005/3/26



ウィーンから福岡へ来たのが2005年3月。(辞令はもちろん4月から。)

3月20日に地震。

引っ越したばかりの住居部屋は、まだ、荷物も何もないに等しい状態だったので、何も落ちてくるものもなかったですけど。

まずは近隣のインド料理を悉皆調査とばかりにあれこれ回りました。

大丸前に一軒。

タンドゥーリー。

写真からすると、3月26日訪問です。

その後、つぶれてましたし、一切、話も聞いたことがないですけど。

「ああ、あの店ね」という人がいません。

大丸前なので、おそらく、ガンジスの(直接か間接かの)後継だったのだと推測しますが詳細は不明。

まったく話が通じない(非インド人の)店員で、結果的に、二度と行きませんでしたけど。(コックはインド人でしたけど、ホールの女性がどこの国の人だったのか不明です。ヒンディー語圏ではありませんでした。)

チキンティッカとナン、それにビールを注文したのですが、どうしても、カレーなしにナンを食べるというのが理解できなかったらしく、

「チキンティッカマサラとナンですね」
「いや、チキンティッカとナン」

「はい、チキンティッカマサラとナンですね」
「いや、チキンティッカ」

というやりとりを三回ほどしました。

最後にコックにヒンディー語で話して解決。

いまなら、1000円のちょい飲みセットとかで、チキンティッカにビールとナンくらいのセットがありそうなものなので、気持ちも分かるところも増えたとは思いますが、どうも、そういう気持ちがまったく分からなかったようです。

コミュニケーションとは難しいものです。

それを理解する枠組みが予め脳内にないと、相手が何を言いたいのか人は理解できない、という良い事例でした。(さらにいえば、自分の理解に沿わない相手の発言に対しては不快を感じて怒って攻撃してくるのが普通の人間の心性です。)

インド人(のサンスクリット由来の名前)なら一発で分かりますが、スリランカ人の名前を聞いても一発では覚えきれないのと同じです。

カレーなしにナンを頼む人を彼女は見たことがなかったのでしょう。

チキンティッカとナンとビールで、最強に良いセットだと、個人的には思いますけどね。

カレーまで食べたら、ビールが入らないでしょう。
  1. 2021/12/02(木) 22:12:03|
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シャーマンのコメント

シャーマンが良いこと言ってます。

Hatley 2010: 623:
In this regard, prevailing attitudes toward philology and Sanskrit seem unhelpful.6 The shift toward study of the ‘embodied’ dimensions of Hindu Tantra has, for instance, been framed as a turn away from Sanskrit; in the words of Jeffrey Kripal, ‘I am naturally more interested in what Tantra feels like in Bengali than what it thinks in Sanskrit’ (1998; p. 29)7– a sentiment echoed in the catchy phrase ‘vernacular Tantra’ (Elmore 2007, p. 762; Urban 2003, p. 275). Undoubtedly the language worlds of vernacular texts give us invaluable windows into the tantric traditions, but the equation of Sanskrit with philosophy suggests unfamiliarity with the literature. In any case, deep contextualization must embrace the full gamut of source materials, whether linguistic or otherwise.



どこの世界でも、自分の狭いからに閉じこもって快適たらんとするのは、人間の心情ですからね。抵抗を感じるのでしょう。しかし、現実を直視する必要があるでしょう、研究対象を理解するのに何が必要か、ということを。deeplで和訳しておくと以下の通り。(訳文は全然問題ないですね。賛成なの反対なの?というニュアンスをつかみ切るのが難しいのは英文でも和文でも同じです。)

この点については、文献学やサンスクリット語に対する一般的な考え方が役に立たないように思われる。ジェフリー・クリパルの言葉を借りれば、「タントラがサンスクリット語で何を考えているのかよりも、ベンガル語で何を感じているのかに興味があるのは当然だ」(1998; p.29)7ということになる。ヴァナキュラー・テキストの言語世界が、タントラの伝統を理解するための貴重な窓となることは間違いないが、サンスクリット語を哲学と同一視することは、この文献に馴染みがないことを示唆している。いずれにしても、深いコンテクスト化のためには、言語的なものであれ、その他のものであれ、すべての原典を包含しなければならない。



なぜか、第二文が飛ばされています。そこだけ訳させると以下。

例えば、ヒンドゥー・タントラの「身体的」側面の研究への移行は、サンスクリット語からの脱却と見なされています。



deepl、たまに勝手に飛ばすので、そこは要注意です。
これは、有料へ移行させるために敢えてしてるのでしょうかね?
スポティファイの無料版でCMが差し挟まれるようなものでしょうか。

ちなみに、後註の6については、以下。

Hatley 2010: 624, n. 6:
In this regard, it is worth revisiting Mircea Eliade’s evaluation of the role of philology in the ‘creative hermeneutics’ at the core of his vision of the historian of religions: ‘For the History of Religions, as for many other humanist disciplines, ‘analysis’ is equivalent to ‘philology.’ One does not consider a scholar responsible unless he has mastered a philology (understanding by this term knowledge of the language, history, and culture of the societies whose religion he studies)’ (1965, p. 6).



同じく、deeplで訳させると以下。

この点については、ミルチャ・エリアーデが宗教史家のビジョンの核心である「創造的解釈学」における言語学の役割を評価したことを再考する価値があるでしょう。宗教史では、他の多くのヒューマニストの学問と同様に、『分析』は『言語学』と同等である。文献学を習得していない学者に責任があるとは考えられない(この言葉で、自分が研究している宗教を持つ社会の言語、歴史、文化に関する知識を理解している)」(1965年、p.6)。



どうも、deeplは、philologyが何かをご存じないようです。
二か所で言語学と訳されてます。
最後はちゃんと文献学と訳してますけど。
  1. 2021/12/02(木) 20:27:05|
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シャーマンの論文

https://www.academia.edu/4986200/Tantric_%C5%9Aaivism_in_Early_Medieval_India_Recent_Research_and_Future_Directions?email_work_card=title

2010年なので、それまでの10年間の研究回顧、ということでしょうけど、それでも、非常に便利です。

紹介されるものはだいたい知ってますけど、知らない人のもありますから。

サンダーソンの直弟子であれば、周りがまさに歴史そのものなので、自然と知っていることばかりなので、わざわざこんな回顧するまでもないでしょうけど、いわば孫弟子世代にあたるシャーマンの場合は、このように、意識的に研究史を回顧する必要があったのでしょう。

第三者的には、非常に助かる内容です。

歴史にするには、当事者よりも、ちょっと離れたほうがよく見えますから。

彼自身の勉強の成果ということでしょう。

ドミニクやソームデーヴがこの手のものを書くとは全く思えませんから。

ドミニクの場合は、大概、当事者(自分の研究、他人の研究の手伝い、資料提供、場所提供、情報提供、プロジェクト主催、出版)だったりしますし。

ネットワークの中心ですからね。

シャイヴァやってて、ポンディでお世話になってない人のほうが珍しいくらいでしょう。

関係ないですけど、ピシェルはインドに呼ばれていったら、1908年、風土病に罹ってなくなったそうです。(西村 2021: 156)

そういえば、むかし、マハーバリプラムで泳いで亡くなったドイツの優秀なサンスクリット学者の話も読んだことがあります。(私の知り合いのフランス人も、ポンディの海岸で、流されかかって、漁師出身のタミル友人に間一髪のところ、救われてました。オーロビーチ、油断してると、離岸流ですぐに流されます。足の着く範囲でばしゃばしゃしてるくらいが平和です。なお、朝に泳ぐのは――近場の人のトイレになっているので――お勧めしません。)

マックスミュラー(1823年12月6日 - 1900年10月28日)は、招待があっても拒否、一度もインドに行かなかったそうです。(西村 2021: 31)

確かに、病気や事故などで死ぬ確率は、地元にいるよりは、ぐっとあがりますからね。

特に歳とってからとなると、面倒でしょう。

昔は船ですし。

水が変わるだけでもしんどいですからね。(そういえば、わたしも、オックスフォードで硬水飲んで、どうも腹の調子が時に優れませんでしたね。髪はばっさばっさで、シャンプーしても全然泡立ちませんし。)

笠原は、イギリスにいったのに、これまた体調崩してますし。

菜食の数学者ラーマーヌジャンは、イギリスで食べるものなくて、これまた体調崩してますし。

環境が異なる海外にいくのは、人によっては、やはり、合う合わないがあるということでしょう。

最初の留学が米食に、豆類汁かけなど――要は味噌汁に近いもの――の南インドで良かったです。(スナックも、小麦ではなく、米や豆ですし。)

北インドのチャパティ中心の食生活だったら、体がもっていたかどうか。(チャパティも好きですけど、さすがに三食一週間を超えたら、どうなるんでしょうね。実験したことがないので分かりません。「米くれ~」となる気がします。そういえば、留学中に北インド旅行しているときも、南インド料理屋を見つけると、ついつい入ってしまってましたね。)

こういうのは、意識の持ちようではなくて、体質で決まりますからね。

頭での好き嫌い云々ではなく、体の反応です。

そういえば、うちはオリッサ出身者の寺だったので、いわゆるサンバルよりも、ジャガイモのカレーのほうが多かった記憶があります。

ジャガイモカレーが今でも好きなのは、そのせいですかね。

ジャガイモの味噌汁が好きなのとパラレルです。

飯で不自由を感じたことは、南インドでは、なかったです。

むしろ、東京にいて本郷の学食で食べるよりも、はるかによかったです。

ティルパティでは、ランチに近くのファイブスターにサンダルで出かけて、ずらっとボーイが並んでる中、ミールス食べて、食後にはコーヒーだったり、紅茶だったり、さらに、多めのチップまで置いたりしてましたからね。(言っても、5ルピー札や10ルピー札とかですけど。)

マドラスでは、近くにホテルがなかったので、大衆食堂か、ベサントナガルの小洒落たレストランでしたけど。(後者では食後にアイスまで食べててましたね。)

ちなみに、インドから帰ってまだ間もないころ、鉄門前の小料理屋のランチを研究室の皆で食べに行ったとき、ごはんのお代わり無料と書いてあったので、青野――元柔道部――と二杯目たべて、さらに、二人で三杯目もお代わりしたら、ごはんの代金つけられてました。

「東京は世知辛いな」と思ったものです。

ミールスみたいに無限に米たべたら、東京では、白い目で見られるということでしょう。(二杯目までが無料で、三杯目は無料の範囲に入らないという不文律があるのを読み取るべきという高度な忖度が要求されています。)

京都でお茶漬け食べずに帰るほうがまだましです。
  1. 2021/12/02(木) 19:10:11|
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とはいえ環境が

双方向とは言いましたけど、しかし、ネット環境が整っていても、必ずしも発話できる状況にはない、ということは考慮しておく必要があります。

画面を消して音声だけの講義――部屋が映るとか顔が映るなどもあって最近はこの方が好まれるでしょうから――でたまにランダムに学生に当てますけど、そうすると、答えられないひともいます。

それは、寝ているわけではなくて、聞いていても、教室など公共空間にいる場合、喋ることが憚られる、というケースです。

ネット通信用に開放されている教室まで来て受けていたり、あるいは、講座の研究室で受けていて周りに人がいる場合など、その場で喋ることは遠慮されますから、その人は、当てられても答えられないわけです。

いまは特に、対面授業も一部にあったりで――どうも文学部ではまだ少ないようですが――、大学に来ている場合もありますから、その場合には、大学内のどこかで受けることになりますが、当然、公共空間なので、発話が無理、ということになるほうが多いわけです。

理系の人なんかも受けていますが、おそらく、研究室か公共スペース(自習室的なところ)から受けているのでしょう、その場合も、周りに配慮せざるを得ません。

画面を付けてもらえば、こちらも、その人は飛ばすのでいいんですけど、しかし、画面をつけることは、心理的に嫌がまさるというのは、FBの画像が、外国人と日本人とで違うのと似たようなところがあるかもしれません。

なぜかしら、顔がさらされることに抵抗ありますから。

あとは、自室にせよ、日本の部屋は狭いですからね。

あれこれ映り込んでしまいます。(もっとも背景処理すればいいだけのことですが。それでも、家族がいる場合もありますからね。)

ネット環境のみならず、部屋の状況、さらに、公共空間での他人への配慮などなど、実際には、様々なハードルがあるわけです。

ともあれ、音声だけでも特に不便は感じませんけどね、慣れてしまうと。

画面ありにこだわる先生もいるようですけど。

寝ているとばれるという点では管理に便利ですけど。

強制が必要な科目――たとえば法学部のコースワーク的な講義――などは、高校と同じで、ある程度の強制力が必要なので、画面オンも必要なのかもしれませんけど。

ゼミで相互に交流する、あるいは、哲学のように皆で議論する、という時には、確かに、画面オンが必要かもしれませんね。

哲学系のゼミ――たとえば10人ほど――は、議論する都合上、画面オンのようです。

いっぽう、うちの講読ゼミの場合は、訳す人が決まってますし、それをチェックするのが私ですから、役割がはっきりしているので、音声だけで通用します。

あとは基本、聞くだけ。

たまに、第三者に振ったりしますけど。
  1. 2021/12/02(木) 07:41:05|
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同時のオンライン授業とは何か?

双方向性が担保されている時点で、zoomなどの場合は、「通信」よりも「対面」に近いという見方も可能ですけどね。

というか、10m以上離れて顔を見る大教室の講義よりも、よっぽど距離にしたら近いですけど。

1mも離れてませんし、声も、はっきりくっきり、やりとりできますし。(しかも便利なことに画面も共有できます。)

というわけで、対面と通信という二項対立で考えるなら、実は、対面に近いのではないか、という考え方も可能です。

大事なのは、双方向性があるかどうかでしょう。

録画オンデマンドができるので、そっちに引きずられがちですけど、同時のオンライン授業は、その点で、本質的にいわゆる「通信」や「放送大学」的なものとは違うという見方も可能です。

対面
同時のオンライン
ーーーーーー
録画のオンデマンド
放送大学
通信制

というわけで、線引きを変えてしまえばいいでしょう。

何か見落としてますかね?

もちろん、授業前後のキャンパスでの人とのふれあいという、そういうのは、また別で考えなければなりませんが。(それは授業そのものの話とは、ずれます。)
  1. 2021/12/01(水) 19:39:20|
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梵語読解の杖



山を歩くと、ストックの杖を持っている人を目にします。

何か支えがあれば確かに便利でしょう。

サンスクリットも同じ。

何か支えが最初は欲しくなるものです。

和訳があればよし。

しかし、そんなものは、大概、ありません。

ちょっと昔だと、何かやろうとすると、信頼できるものは、工具類からして、ドイツ語だったりします。

ヴェーダをやる人は、ドイツ語をまずやらないといけません。

ドイツ語を通してサンスクリットを学ぶわけです。

サンスクリットなのにドイツ語?と思いますが、そういうものなので、仕方ありません。

分野によります。

ジャワ研究でサンスクリットやろうと思えば、蘭語は外せないでしょう。

カンボジアのクメール研究なら、いうまでもなく、フランス語。

それなしで臨めというほうがアンバランスです。

で、仏教となると、当然ですが、漢文だったり、チベットだったりします。

日本人の初学者の場合は、自然と、漢文・漢訳・漢訳風を頼りに読むことになります。(漢字を使う日本語人ですから。)

でも、辞書がすごければいいですけど、梵和は、普通のサンスクリットを読むには、ちときついものがあります。

どうしても、仏教よりになっていますから、仏教文献の漢訳を調べるにはいいですけど、しかし、普通のサンスクリットを読むには、感覚が少しずれたところがあります。

哲学文献となると、さっぱりです。

仏教論理学なんて、その頃には、想定してないでしょうから、現代語訳がなかったりします。

試しにvikalpa見てみたら、これで、初学者に分かれ、というほうが無理です。(現代語訳の後にある漢訳の方は頼りになりますが。しかし、現代語訳との距離がすごすぎて、初学者は戸惑うばかりでしょう。)

adhyavasaayaを見ても、仏教論理学的には、完全に終わってます。

当たっているのは、漢訳の決智くらいですね。

というわけで、この辞書の使い方としては、やはり、現代語訳は話半分、あくまでも、オーセンティックな漢訳を調べるのに使う、というほうがベターでしょう。

並べ順も適当ですからね。

これだと、意味の広がりの展開順が終えません。

たとえば、カーヴィヤを読むのには、アプテあたりでないと、想像が広がらないでしょう。(モニエルだと辛いときがあります。)

アプテの良いところは、パーニニ流の語源分析もついているところです。

二年目くらいからは、徐々に、これにも慣れておくといいでしょう。

一気に読みが深くなりますから。

そのうち、辞書など見なくなりますけど、この分析だけは、気になれば、念頭に置けるようになります。

それが重要だということを分かっていたから、アプテも最初に置いているわけです。(我々も漢字では、語源を大事にするでしょう。あるいは、英語なら、ラテン語や起源となる古い原語を挙げるでしょう。)

とはいえ、漢訳は、サンスクリットとはかなり距離があって、ばっさりと概念の襞が切り取られて、一部にしかフォーカスがあたりませんから、それは知っておかないといけません。

アメーバのように意味は広がっていきますから、その想像力、創造力を、体感するには、どうしても、原語感覚を身につけておく必要があります。

漢語に自動的・機械的に置換する作業を繰り返してしまうと、思考停止の罠に陥ってしまいます。

これは、みなさん、よくあるので、身に染みているでしょうけど。

長じては、チベット訳が完備している仏教文献をやる場合も、この罠に陥ってしまうことが、ままあります。

E先生は、「チベットではこう」と、常にチベット訳を頼りにしてましたけど、いやいや、サンスクリットでこうなんだから、サンスクリットで考えたほうが早いのでは、と学部ながらも思ったものです。

Bodhicaryaavataaraを読んでいるときも、幸い、ヒンディー訳――あまり質の高くないもの――があったのですが、そっちのほうが感覚が原語に近いところがあったので、どうも、先生の感覚とのズレが気になった時がありました。(意味論よりは統語論的な頼りという意味合いのほうがヒンディー訳の場合は大きいですが。)

仏教論理学の世界も、実は、原語の持っている力というのは大きいものです。

そこから広がるイメージによって、自然と、言いたいことが分かるわけですが、それを、漢訳風やチベット語に置き換えても、何もイメージが広がりません。(あるいは誤った方向にミスリードされる可能性すらあります。もちろん、場合によっては、正統な解釈に導かれるでしょうけど、それも、後代の解釈が入っている場合がありますから要注意です。)

仏教論理学や認識論をやるのにも、原語感覚というのは重要ですから、ヴェーダ祭式文献を読んで、動詞語根の核となる意味に慣れておく訓練というのは、実は、為になります。

動詞語根の持つ身体的な意味というのが、実は、重要です。

抽象的な概念も、もとは、具体的な動作に根差していますから。

詩を読むというのは、そういう意味で、意味の広がりを体感する良い訓練になります。

カーリダーサが読めないうちは、やはり、サンスクリット感覚に穴がある、と言ってよいでしょう。

なにしろ、彼以降にサンスクリットを書いていた人たちも、カーリダーサは読んでいたでしょうからね。

また、或る時代からの仏教徒にとっては、アシュヴァゴーシャがマストだったでしょう。

限られた範囲の論書ばかり読んでいても、語彙も文法も統語も含意も背景も含め、サンスクリット読解能力は身に付かないという話でした。

(仮にサンスクリット知識ゼロで)たとえゲシェの位を取ったとしても、TSPやPVSVが分かるようにはならないでしょう。

相手のシステムに通じてないといけませんから。

PVSVのダルマキールティ思想の生成を理解するのに、クマーリラ抜きでやるのは、本質的に無理だというのが私の主張です。

同じことは、TSやTSPについても言えるでしょう。

そして、生成過程を理解することが、その著者を理解する最も有効な分析手法であることは、普通、合意されている事項でしょう。

技を盗みに来た人が、できあがった料理ではなく、厨房にはいって中をのぞくようなものです。(もっとも、熟達した後では、味だけから、過程を想像できるでしょうけど。最初からは無理でしょう。)

舞台裏。

ダルマキールティも、最初から完成されていたわけではありません。

論争の中で成長・変化するわけです。

そして、言うまでもなく、仏教論理学・認識論というのは、本質的に、外道と対峙するレベルで書かれた書物ですから、当然、外道哲学にも通じておく必要があるわけです。

縦と横、仏教内の二諦論的垂直方向と、同時代の思想状況の広がりの両方に通じておく必要があります。

日本の捕鯨政策を理解するのに、諸外国(特にアンチの国)の態度を理解する必要があるのと同じです。

中だけ見てても、本質的なことは、実は見えてなかったりするわけです。

そういう意味で、本邦では、外に目を広げたのが戦後の印哲だということになるでしょうし、もっとも典型的な研究者が、梶原・服部ということになるでしょう。(そして、その先駆として、宇井があるわけです。)

なにしろ、仏教論理学や認識論の研究は、出始めの頃は、「こんなのは仏教の研究ではない」というような雰囲気があったそうですからね。

経典やっている人からしたら、たしかに、何それ、という感じは、今でもあるかもしれません。

そして、それは、或る意味正しいわけです。

なぜなら、本質が外との交渉にあるからです。

コンタクトゾーンの仏教学なわけです。

相手の球に対して返しているのが行動の本質です。

回転が上向きだったり、下向きだったりするのは、相手に応じているわけです。

そこを理解しておかないと、中だけ見ても、よく分からないことになるでしょう。

そして、始まりの始まりからして、沙門の仏教というのが、バラモン教と対峙して出てきたということは、いまいちど確認しておいてよいでしょう。

中ばっかり見てても分からないことがある、ということです。
  1. 2021/12/01(水) 08:10:00|
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ひとの研究



ひとの研究にばかり通じることは、やはり、われわれの分野では害もあります。

Hara先生がハーヴァードにてIngalls大先生に叱られた話がありましたけど、それは確かにそうです。

一次資料から出発すべきです。

なぜでしょう。

まず、二次文献から入った場合、その見方に左右されて、その後、それに支配される可能性があります。

つまり、一次資料を読んでも、生の声が届かなかくなってしまう恐れがあります。

これはこういうものだ、という色眼鏡で最初から見てしまうので、思い込みが訂正される余地が狭まってしまいます。

最初から生で読んで、後から二次文献を読めば、「なんか私の感覚と違うな」と思って、より詳しく読み比べて、先行する人の間違いや思い込みにも気が付くでしょうが、逆に、二次文献から入ってしまうと、どうしても、そちらに引きずられてしまう、というのはあるでしょう。

なにしろ、出版されてしまうと、権威に感じられてしまいますし、しかも、時間が経つと、あたかも、それがestablishedされたかのごとくに映ってしまいますからね。

みんな、面倒なので、いちいちチェックすることもなく、それに重ねてリファーしたりすると、どうしてもそうなります。

そして、実際には、いまは年取ってそれなりに経験を重ねている人でも、その本を出した時点では、若かった、ということも考慮しないといけません。

博論だったりしますからね。

つまり、30くらい。

まだまだ若いわけです。(我々の分野では。)

いろいろと間違いもあるでしょうし、経験不足もあるでしょう。

なにしろ初めての大著ですから。

しかし、それが、本となると、なにかすごい権威のように感じられる可能性があるから、そのことは、よく意識しておかないといけません。

あとは、当然ですが、その人の興味関心から資料を扱いますから、その人の関心から漏れた部分は、取り上げられないわけです。

漏れた部分が実は、大事だったり、あるいは、自分にとっては大事かもしれません。

人の興味関心で資料が限定されてしまうわけです。

一次資料の全部全部を取り上げるわけではありませんからね。(全訳ならいざしらず。)

生で読めば、絶対に、興味関心が完全に重なることはないでしょう。

自分が詳しいトピックもありますから、そういう部分では、錐のように、尖って的確に深く突き刺すことができます。

研究において大事なのは、そうしたこだわりであることは言うまでもありません。

Eノ尾先生も、授業準備に際しては、「こだわってください」「ほかの部分の予習が間に合わなくなってもいいから、そこだけ調べて、時間が足りなくなっても構いません」というように、アンバランスなこだわりを強調されていました。

T大生だと、ちゃんとバランスよく全て満遍なく予習して訳して終わってしまうので、細部へのこだわりが薄くなってしまいます。

研究者として、それは、よろしくない、という危惧があったのでしょう。

たまに、ひとつのことに関して、あれもこれもと、様々な資料を総動員して読むことも重要です。

錐の鋭さ。

そこまでこだわると、最先端となります。

立派な脚注の一つになるレベル。(よくある、でっかい脚注です。)

それが大きくなれば、論文の論点にもなりえますし。

生で読んで、自分の感覚で読んで、自分の感覚を育てて、それに素直に耳を澄ませること。

それはある種、日本語の変な文を読んで、許容できるかできないかを感じる、生成文法学者の作業と似ています。

なんかおかしい日本語だな、という感覚と同じで、一文を超えた大きな文章に関しても、最初は、そんなアンテナが働くようにすることが大事です。

生で読んで、どういうことだ? これはおかしいのでは? という感覚です。

経験を積む、ということでしょうけど。

そうすると、隠れた異読も(写本を見ずとも)自然と分かるようになります。

言語ですから、感覚で読むことが大事です。(自己の為の推論がぱぱっと脳内で行われるのと似ています。)

そして、学者ですから、当然、用例検索で、その感覚を修正していかないといけませんし、その感覚を、「他者の為の推論」風に言語化して、証拠化できることも必要です。

パソコンとネットで楽にこの用例検索ができるという点で、われわれは、前代の学者より、はるかに優位に立っています。

つまり、楽にこれまでの研究を超える可能性が広がっているわけです。

原先生の様々な論文でのメインの仕事は、一次資料の膨大な用例をカードにとって、網羅的にやったうえで、それを整理して、一つの単語の諸意味をあぶりだす、という作業です。

いまだと、「網羅する」という作業は、刹那にできてしまいます。

あとは整理する頭だけ鍛えておけばいいわけです。

膨大なカードを取った日々というのは決して無駄ではなかったでしょうけど、それでも、焦ったでしょうね。

徳永先生がMBhを打ち込んだ時には。

自分のひとつの優位が失われてしまったわけですから。

もっとも、大蔵経のSATと同じで、それを読む力がなければ、検索が刹那にできても、それだけでは意味がないわけですから、心配することはありませんけど。

ということで、生で読む力を上げる必要があるのは、常に変わらぬ真実でしょう。

まちがっても、AIがサンスクリットを正確に読める(例えば英語に翻訳できる)日がくることはないでしょう。(能力的にではなく、まず、経済的に、そこに金が突っ込まれることはないでしょうから。あるいは、たとえインド人がパッションでやろうと思っても、サンスクリットの場合、語が多義すぎて、限界があると思います。そして、機械学習しようにも、学習させる信頼できる材料が少なすぎて無理でしょう。詩など、含みが多すぎて、AIには荷が重すぎでしょう。二重の意味を持たせた掛詞は、どれくらい理解できるのでしょうね。)

その日を待つよりも、勉強したほうが早いです。

写本がネット公開されるのを首を長くして待つよりも、自分でインドまで取りにいったほうが結局早いのと同じです。

まあ、もっとも、MHKみたいに、長年直接アクセスできなかった写本が突然アクセス可能になるという夢も実現したりしますから、何があるか、世の中、分かりませんけど。

入中論のサンスクリットがいよいよ読める時代になりましたからね。

30年前にそんなことになっていたら、間違いなく、ミーマーンサーではなく、中観研究に進もうと思っていたでしょう。

いま思うに、中観ではなくミーマーンサーをメインにして、やはり良かったと思いますけど。(サンスクリットを鍛えられたという意味では特に。)

ミーマーンサーを読めれば、大概、サンスクリットであれば、どんな文献でも対応できるように鍛えられますから。(逆はそうではないでしょう。)

この4月から、火曜5限に、うちの修士のN君と、アーユルヴェーダ読んでますけど、最近は、楽勝に感じられるようになってきました。(何人か他大からもネット参加。)

すいすい進みます。(それはN君も同じでしょう。)

最初はおっかなびっくり、慣れないパターンに戸惑いましたけど、やっていけば、パターンが見えてくるものです。

とはいえ、この先、Jyoti.saを読む日がくることは、さすがにないでしょうけど。(bhuutasa.mkhyaaを読み解けて数が分かっても、それが何をやっているのかは、私には、よくわからないでしょう。)

むしろ、こっちをAIで読み解いてほしいですね。

可能な気がします。(そして、きっと、AIも、誤った読みや誤植の多さに頭を悩ませられることでしょう!)
  1. 2021/12/01(水) 07:19:56|
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仏陀は何を述べたのか?



McClintock 2010: 20, n. 46:
sa cāyaṃ pratītyasamutpādaḥ parair viṣamahetuḥ pramāṇavyāhatapadārthādhikaraṇaś ceṣyate । atas tannirāsane yathāvad eva bhagavatokta iti darśanārthaṃ vakṣyamāṇasakalaśāstrapratipādyārthatattvopakṣepārthaṃ ca bahūnāṃ yathoktapratītyasamutpādaviśeṣānām upādānam iti samudāyārthaḥ ।
And others assert that this dependent arising is a false cause and is a basis for topics refuted by the means of trustworthy awareness. Therefore, when [Śāntarakṣita] refutes them, it is for the sake of demonstrating that what the Blessed One taught is correct; and the enumeration of the many distinctions of dependent arising [in the opening verses] is for the sake of indicating the realities (tattva) that are the topics to be explained in the entire treatise that is to be composed. This is the general meaning [of the opening verses, TS 1-6].



サラの全知者本ですけど、肝心のところで、サンスクリットのテキスト引用自体にミスがありました。

ヴァンサンとの議論になるところで、大事なところなんで、間違ってほしくなかったですけど。

しかも、単に、写し間違いというだけでなく、訳も、それに沿って間違っているので、本気で、そういう単語だと思っているようです。

まず、nirāsaneという見慣れない単語があるので、何かと思いきや、BB版では、nirāsenaでした。

よって、ロカティブではなくインストルメンタルです。

しかし、サラの訳を見ると、ロカティブで考えてます。明らかに。

また、viśeṣānāmも変だなと思い、BB版をチェックしてみると、やはりというか、viśeṣaṇānāmでした。

ですよね、という感じです。

ここも、訳が、変なことになっています。

縁起に掛かっている多くの限定要素、という意味に原文はなります。

縁起に様々な修飾が用いられている、という趣旨です。

英文だと、かなり違うニュアンスです。

あと、bhagavatoktaで、何が言われたかですが、これは、男性形なので、前の縁起です。

つまり、縁起が述べられたのです。

英文だと、隠れた主語が補われていません。

他者を排斥することで、まったく如実に、縁起が世尊によって述べられたわけです。

英文では、ニュアンスが違ってきてしまいます。

具格かそうでないかは、ヴァンサンに抗議する彼女の論点とも大きく関わってきます。

細かい誤読が、大きな論点・論拠と直結する事例です。



  1. 2021/11/29(月) 22:24:23|
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新しさ




研究対象そのものに影響されるということはあるでしょう。

信心深い研究対象をやっていれば、それなりの畏敬をもち、それらしくなります。

型が自然と身に付くということです。

欧米で仏教を教えるとなると、自然、菜食のほうが(お坊さん学生の手前もあり)便利でしょう。

E島先生は、たくさんアジアからの留学生を受け持っていましたけど、しかし、ノンアルではありませんでしたから、その点だけは、おそらく、菜食・ノンアルのお坊様方は、眉をひそめていたことでしょう。

お坊様の場合、「庄屋」における夜の授業にまで付いていくことができませんからね。

我々は、半強制的に行かされているようなところもありましたけど。(有難迷惑だったのかといえば、よく考えれば、先生と飲める機会というのは、コロナの今になって思えば、むしろ、貴重なものだったのかもしれません。私も、もう随分、学生とも飲食してません。そして、伊都だと、今後もあまりなさそうです。そもそも店がないですからね。おそらく周りも似たようなものでしょう。)

ジャイナをやるとなると、これまた、菜食は、半分、マストみたいなところがありますから。

日本のK大先生が、ジャンブーヴィジャヤ師にお説教されているのは笑いましたけど。(説教している当人はもちろん真剣なんでしょうけど。)

私ですが、ティルパティのサンスクリット大学となると、ベジの人しかいませんから。

「おまえはベジか?」「卵食うのか?」は、よく聞かれました。

幸い、ヴァイシュナヴのお寺に住んでいたので、出てくるのはヴァイシュナヴァのピュアベジですから、何も考えずともベジになります。

ほぼ無意識化されたベジ。

単なるプラクシスの世界ですから、考えるまでもありません。

そういうものだ、ということで、わざわざ意識してやろうというほどのことはありません。

あとは、勝手に体質のほうが変わってきてくれます。

そのうち敏感になって、肉の匂いが、気持ち悪くなりますから。

酒は、そもそも、アーンドラは、その当時、ドライ州でしたから、存在すらしてません。

タミルとの州境で、酔っぱらいが飲んだくれているのを見て、なるほど、ここまでするかと思ったものです。

そもそも、インドの場合、酒屋(の裏)で飲んでいるのは、かなりのレベルですからね。

日本でいうと、まさに、場末、この世の終わりというようなイメージです。

普通の人間がでかけるような場所ではありません。

なにしろ、やましい裏口という雰囲気が濃厚にでてますから。

もちろん、男性しかいませんし。(そういえば、ポンディにいたとき、いつもミルクを買う雑貨屋の近くの裏に、そういう飲ませる店があって、たまに、絶望したかのように酔いどれてるおっさんが昼間からいたりしました。辛いんでしょうね。基本、酒=酔うため=辛さを忘れるため、というイメージが濃厚に漂ってました。)

酒税の低いポンディでも、ついぞ、そのような店に近寄ったことはなかったです。(文化人類学でもやっていれば、興味本位で入ったでしょうけど。)

閑話休題。

で、何が言いたかったかと言うと、ミーマーンサー研究をしていると、「新しさ」つまり「オリジナリティ」に敏感になるということでした。

ミーマーンサーの場合、プラマーの定義に、新しさも入ってます。

つまり、新しい情報の源がプラマーナです。

正しいだけではだめなわけです。

役に立たないといけないわけです。

最新のニュースだけが、彼らにとっては「真の情報」なわけです。

いっぽう、ニヤーヤでは、正しければ、それが古かろうが新しかろうが(既出であろうがなかろうが)関係なく、正しいわけで、そのような情報を伝えるものはプラマーナになります。

「これは壺」「これは壺」「これは壺」、同じ壺を繰り返し見て確認しても、どれも、正しいわけです。

(ミーマーンサーの場合、時間も直接知覚できると考えるので、T1とT2とT3の違いがあるので、そこにも何らかの新規情報はある、というようにして対処します。)

基本、インド哲学では(少なくとも古いところでは)、想起のような繰り返しの認識は、プラマーの枠から(最初から)外されてます。

過去の知覚情報を繰り返すだけの思い出しの想起は、プラマーの仲間には入れてもらえません。

新規性をプラマーの定義に組み込んだのがミーマーンサー。

仏教も同じ。

クマーリラもダルマキールティも、この点では、お仲間です。

新しくなければ情報ではないのです。

このような意識は、もちろん、聖典に無駄がないという、無駄があってはならない、単なる繰り返しなどあってはならない、どれもこれ、一言一句有意義である、あるべきだ、という切り詰めた意識からきています。

言葉への信頼。

それは、重複を許しません。

切り詰め。

パーニニの一言一句が金言であるのと同じです。

パーニニの人為文ですら切り詰め切り詰め、一言一句に情報がつまりまくって、ひとつの無駄もないのですから、ましてや、ヴェーダに無駄のあろうはずがありません。(そういえば、経典は、えらく繰り返しが多いですけど、あれは、ミーマーンサー的な視点からは、正当化しようがないほどに「単なる無駄」です。いっぽう、James Brown的には、繰り返しの中に恍惚があるので、唱えるということを考えると、繰り返しは、最高に気持ちいいわけですが。)

何か新たな(正しい)情報を伝えているわけです。

というわけで、ミーマーンサー研究者の場合は、どうしても、オリジナリティということを意識するように、自然となります。

この論文の何が新しいのか。

正しさだけでは、繰り返しの可能性がありますから、先行研究で既に言われているかもしれません。

独自の視点というのが重要という意識が、普通よりも強くなります。

正しいと思って新たなことを言おうとするわけです。(結果、間違っていたとしても、いずれ訂正がされるでしょうから、実際には、新しさのほうが重要です。間違いを恐れて同じことばっかり繰り返していたら、発展はないでしょう。)

だとすると、anyathaanupapannatvaを立てるジャイナの人は、「そうだとしか考えられない」ということを根拠に、すべてを論じると面白いかもしれません。

あるいは、「そうとも考えらえる」「別の側面からは、こうとも考えられる」というようなことを言い出したら、さすがジャイナと思われるかもしれません。

さらに言えば、仏教の場合、原点に立ち返るなら、「無記」として答えないのもありかもしれません。

頭でっかちになると碌なことはありませんから、「不識」として殴って追い返すくらいでもいいかもしれません。(今の大学で臨済式はできませんけど。)

我々の分野で言うと、やはり、日本人の論文は先行研究に則りすぎて、お行儀がいいのが多いので、オリジナリティという点では、まだまだ「薄い」感じがします。

海外の友人からの日本人論文評を聞くと、このオリジナリティの薄さが、どうも、彼らには引っかかるようなところがある感じです。

というわけで、我々の分野で英語論文を書く人は、その場合には、もうちょっとオリジナリティの側面を濃厚に出したほうが、受けはいいかもしれません。
  1. 2021/11/29(月) 08:10:45|
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シェムリアップ → ブッダ






スロスさんによるカンボジア料理のシェムリアップが閉店.(もともとは,病院前の馬出,そこから吉塚商店街の銭湯跡へ,そして,同じエリアのここへ移転.)

その後にできたのが,ネパール人のラクシュマンさんによるインド・ネパール料理のブッダ.(南区向野にあったブッダ(閉店)と同じ.)

クメールからネパールへ.

或る意味,インド文化圏の周縁から周縁への変化.

なお,おもしろいことに,手前のスペース(壁を隔てた奥にはレジスペースとキッチンがある,その手前の空間)には,ガネーシャとシヴァが祀られています.

ブッダにシヴァ,そして,オーナーはラクシュマナ(ヴィシュヌの化身たるラーマの腹違いの弟).

ブッダ,シヴァ,ヴィシュヌ,全部入ってますね.

さすが,ネパールの混淆ぶり.

シェムリアップ市も,もちろん,それぞれの寺院がありますから,にぎやかです.(看板の写真はアンコールワット.当初はヴィシュヌを祀る寺です.途中で仏教にコンヴァートしたようですけど.)

日本の神仏習合もこんな感じでさぞかし楽しかったのでしょうけど,明治政府もいらんことしてくれました.

頭でっかちの観念で長年の習俗を切り分けるなどというのは,いったい,何様でしょうね.

新しい時代の改新,改革というのは,どこも,いつでも,人間は,一足飛びに,したくなるようですけど.

碌なことはありません.(というわけで,明治の仏教僧は,焦って色々と動いたのでしょうけど.)

頓悟と漸悟で,頓悟に飛びつきたくなる人は一定数いますからね.

なお,クメール文字もデーヴァナーガリー文字も,起源を同じくします.

大元はブラーフミー文字です.

書く(あるいは引っかく)際の材質(樺皮などに専用の墨で書くか,葉っぱのなめしたものを引っかいて傷をつけるか,石に彫るか等)に相応して,文字も,それに便利な形に変化していきましたけど.

ブッダ,商店街の中なので,自転車を真ん前に止められないのは,ネパール人学生にとっては,かなり不便な気がします.

お昼に食べている時も,誰も入ってきませんでした.

あとは,空間的に,いまいち,いまどきのネパールの若者に受けそうな要素を見出せません.
  1. 2021/11/26(金) 23:59:02|
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「木」や「青蓮」の分別知



AもBも同じく「木」だとする分別知の上には,対象の形象が顕現していますが,その時,その対象形象は,実際には内的な認識の一部であるにもかかわらず外界対象であるかのように顕現していますし,また,「木」なる一者として現れていますし,非実在であるので効果的作用を持たないにもかかわらず効果的作用を持つかのように顕現しています.

というわけで,我々は,それを本当の木だと思い込んで,その木に対して,行動を起こすわけです.

分別知に顕現する内的な対象形象,すなわち,分別知の影像が,他からの異なりという共通性によって,「同じ」と把握されるわけです.

これが木性という共通性の分別知です.

つまり,AについてもBについても「木」とする有分別の認識.

いっぽう,「青い蓮」というsaamaanaadhikara.nyaの言語表現の場合,非青から排除されたものと,非蓮から排除されたもの,というように,二つの排除を伴った一つの基体が把握されます.

青い蓮なる実在をこの分別知が対象としているわけではありません.

「青い蓮」というsaamaanaadhikara.nyaの言語表現は,対応する実在を持たないわけです.
  1. 2021/11/26(金) 23:20:43|
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成長曲線



大概、博論出版物がピークだったりします。(博論が出版されてない場合は、博論につながる個々の論文。)

そのひとの(外からでも目に見える)業績の質。

あれだけの労力と濃度で作り上げるものとか、なかなかないですから。

時間の問題もありますし。

就職してからだと、なかなか難しいものがあります。

ひとの面倒も見ないといけませんから、自分の研究ばかりに時間を費やすことは不可能です。

とはいえ、ずっと伸びる人もいるでしょう。

いまは、とはいえ、博論がピークになっただけ、まだマシかもしれません。

その昔は、すくなくとも我々の周辺では、修論がピークでしたからね。

あとは、非常勤だったり、結婚したりで、なんだかんだで、誰も勉強してませんでした。(勉強したいひとは留学して、海外のPhDを取る方向に進むしかありませんでした。)

学会発表も、修論から切り出したような、薄くなるいっぽうの塩水だったりするのが傍目にも明らかな人もいました。

そんなもんでした。

なにしろ、日本にいると、課程で博論という道が、ほぼなかったですから。

そんな大それた人は、道として一般的ではなかったのですから、仕方ありません。

「何様?」となりますから。

もちろん、3年で出せるようなレベルのものなら、博論にあらずとして、きっと、切り捨てられたでしょうし。

時代がかわって、意識がかわって、よかったです。(私の1学年上でも、課程博士は、結果的に、いなかったですね。久間さんは、前世代の例にならって、ウィーン留学のPhDですし。2学年下の護山も同じくウィーンのPhD。)

強制力、外圧がなかったら、無理だったでしょう。

忖度。

なにしろ、先生にしても、博論取ってる人が稀ですし、博論取っていても、論文博士で大作ですから、それと比較して、まさか、3年で同じもの取られた日には、なんだか釈然としないでしょうから。

出すわけないです。

いっぽう、昨今は、こまめに業績積んでないと、後がないですから。

DCでもPDでも、海外学振でも、さらに、就職でも。

さぼっていると、差がついてしまいますから。

(嫌でもラットの如く)頑張り続けるしかありません。

博士一年目となると、修論も終わり、なんとなく気が緩んで、さぼりたくなるものかもしれませんが、いまは、そこでさぼっている暇はありませんから。

着実に積み上げていかないといけません。

幸い、今年度から、博士の支援も増えてますけど、それにあまえてさぼっていたら、後がないのは同じ。

くっついてくる研究費をいかして、海外も含め、学会などに出ていくなりしないと、先は続かないのが(厳しいようですが)現実です。

かつて、H大ばっかり学振とおるなー、という印象をもった時期がありました。

先を見越して業績を着実に先生方が積ませていたからでしょう。

のんびり放任・放牧・遊牧のうちのT大は、さっぱり学振にとおりません。

そりゃそうです。

ちゃんと業績を積ませないと、論文の数で負けてますから。

(金もないけど無理にでも)海外の学会でも発表させて、英語の論文も書かせてあるのと、かたや、印仏研の日本語一本というのが二つ並べ書類審査で来たときに、どちらに旗をあげるかといえば、きまってます。(先生の発表に帯同させて旅費出したりという例もあったのかもしれません。うちはもちろんそんなの聞いたこともありません。)

そこは公平。

それ以外に客観的な指標というと、なかなか差がつきにくいものです。(研究計画の出来栄え、ということはもちろん、あるでしょうけど。それは、あくまでも、これからのことについての口約束ですからね。これまでの業績という点は、やはり、印象において大きいです。)

H大、そのおかげで、みなさん、なんだかんだ、続いている人も多いほうです。(もちろん、辞めた人も多いのは、どこも同じですけど。)

私と同じ年代のU野さん、そして、後に続く世代のK林さん、K尻さん、W邉さん。

しっかり就職。

我々の分野では、就職できるほうがレアですから。

続けていくのは至難の業ですから。

みなさん、実感しているところでしょうけど。

右も左もよーわからん修士・博士課程において、高みから先を見通せる教官・教員のアドヴァイスというのは、大きいです。

シャーストリー(教師)たるもの、自利利他円満でありたいものです。(実際には、余裕のなさから、我利我利亡者が多いのは、どこの世界も同じですけど。)
  1. 2021/11/26(金) 19:11:21|
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自己反省もいいですが



あれこれ資料を読み込むのは面倒ですから、それをすっ飛ばして、さっさと言いたいことを言いたいというのは、人によってはあるでしょう。

自分の哲学を開陳したいということです。

好きにすればいいのでしょうけど、それは、その人の個性によってしまうので、学の継承としては難しいでしょう。

つまり真似するのが難しいものです。

才能に依拠するところが大きいですから。(それは時に耳にする「哲学は学べない」というのと同じです。分析の鋭さというのは、もう、最初から備わってたりするものですからね。なまくらの刀はいつまでたってもなまくらのまま、というのは、どうも、哲学的な分析においては、あるようです。悲しい現実ですが、現実ですから、直視したほうがいいでしょう。というわけで、安全牌として哲学史に移行する人もいるでしょう。)

その人の本来的な味によって、分析の切れ味が左右されますから。

いっぽう、学ぶことのできるもので勝負する場合には、じっくりと資料を用いて、積み上げていくことになります。

こちらは模倣可能。

もちろん、その先の分析の切れ味は、人それぞれですから、上の例と同じでしょうけど、しかし、どちらがより継承可能な方法かといえば、まちがいなく、後者でしょう。

模倣されうるもの。

それは教えられるもの。

つまり継承されうるものです。(いわゆる、哲学ではなく哲学史、ということになります。)

研究方法のスタイルの確立。

根本は語学力ということになりますし、読解力ということになります。

これは、訓練で着実に上昇します。(時間がかかりますが。)

T大で印哲に隣接する講座というと、宗教学ということになるでしょうか。

歴史的にもそうです。

しかし、特に宇井あたりからでしょうか、研究のスタイルはまったく異なるものとなります。

同じチベットを扱っても、中沢新一的なアプローチもあれば、普通に、テンギュルをあれこれの版をひっくりかえして考証するスタイルもあります。

まったく異なります。

中沢新一を真似しようと思っても、それは、多くの人には困難でしょう。

大学で学んで簡単に身に付くものではないでしょうから。(実際、『チベットのモーツァルト』的なものをマネできてるひとは見たことがありませんが、誰か、いるのでしょうか。)

したがって、凡人が地道にやるとなると、積み上げ型の語学訓練という後者の道をとるほうが安全でしょう。

才能に自信があれば前者でしょうけど。(たいがい、失敗するでしょう。)

そういえば、杉木さんは、T大宗教学出身ですけど、サンスクリット・チベットで、ごりごりと文献をやっていて、宗教学でも異質な存在となっていますし、結局、我々と同じようなことをやってます。(広大での所属は、いわゆる「印哲」の枠ではありません。)

密教のような「怪しげなもの」に最初は惹かれたんでしょうけど、しかし、そのインド密教をやろうと思うと、現段階では、どうしても、そうなりますよね、という気がします。

ハルにも習ってましたし。

ごりごりの文献学の博論を、主査の島薗先生は、どんな感じで見ていたのでしょうかね。




語学力、文献渉猟能力を最大限に活かしたのがサンダーソン教授の一連のシヴァ教研究の仕事でしょう。

碑文までおさえて、事実、事実で、すべて丹念に押さえていきますから。

結果として、研究スタイルの全く異なるアメリカでも、多くの追随者を出してますからね。(一時ペンにいたハルや、一時、東海岸や西海岸にいたソームデーヴの影響もあります。)

多くの弟子がいますし、さらに、孫弟子までいます。

ベンも、ハーヴァードでは、ヴィシュヌ教のクルーニーの弟子ですけど、しかし、サンダーソンに心酔して、博論では、すっかり、シヴァ教の方に振れてましたからね。(クルーニーも悲しかったでしょう。)

さすがに、あんまり細かいことをアメリカでやるとあれですから、序論的なところ、コロフォン的な著作冒頭のヴァースなどをメインの資料にしながら論じてましたけど。

サンダーソン教授の研究スタイルにも見られるように、一次資料の圧倒的な力というのは、説得力において、有無を言わさぬものがあります。

結局それは、次代への影響力という形で表面化していきます。

私が留学してたころは、まだ、サンダーソン教授――昔のオックスフォードの慣習で学位はBAのみです!――は、発表論文数も少なかった(そして著書はゼロ)ので、オックスフォード界隈では超有名でしたけど、日本では全然知る人も少なかったでしょう。

私も、ドミニクを通して初めてしったくらいです。

学部の頃はもちろん、修士になっても、全然、存在を知りませんでした。

本になってないと、海外までは、なかなか名前が伝わりませんからね。

そんなもんです。

耳にする部外者からの評価も、本があるとないとでは違いますし。

実力の雲泥の差など、部外者には、わかりようがないですからね。

アレックスのチュートリアルのSVアートマン章の講読に特別に参加させてもらいましたけど、圧倒的な読解力に、さすがにびびりました。(また、そのときに私が口を挟んだ解釈の一発目が、運よく当たってたので、えらく気に入られて、その後も、「Kはどう思う」とたびたび聞かれて、そのあとまではさすがに初見で見るテキストですし、自信がなかったので少し困りましたけど。ともあれ、あれだけの知性のほとばしりを目の当たりにできたので、えらい刺激になりました。インスパイアしかなかったです。チュートリアルは、一対一の特別なゼミですからね、特別にゲスト参加を許可してもらって、ほんと、感謝です。)

日本のとある先生とその当時はなしたときも、「サンダーソンは論文すくないから」みたいな否定的なコメントをしている人がいましたけど、外にいると(つまりサンダーソンと読んだことがないと)、わからないのは仕方ないでしょうね。

いまなら、誰にも文句いわせないほどの論文数があって、むしろ、「多い」という印象を与えるくらいかもしれませんけど。

すでにそのときは、それらの資料が多く「仕込まれ」ていたのですけどね。

講義では、そうした資料をハンドアウトとして出されていましたから。(もちろん、部外秘でしたから、外の人は知る由もありませんけど。)

で、何が言いたいかと言えば、説得力において、一次資料に勝る資料はない、ということでした。

そして、それは、次代への影響力という点で差を生む、ということでした。

事実を積み上げていくこと。

その上に、バランスの取れた歴史構築が必要となります(←この部分は、才能かもしれませんが、しかし、哲学よりは訓練可能なものです)。

Aの可能性2割、Bの可能性が8割という割合の時にも、バランスの取れた判断をすることが必要です。

逆張りの無理強いをするひとが、過去の論争を見ていると、よくいますけど。

もちろん、2割でも、可能性として完全に否定はできないわけですけど、どっちが歴史の流れとしてlikelyか、ということです。

全体を見る力ということになるでしょうか。

バシャムを見るまでもなく、イギリス式の場合は、そういう全体のバランス感覚というのは、得意な方なのかもしれません。

方法論的反省や解釈学的議論で第一章を言い訳で埋め尽くすある種の自己弁護も結構ですが、疑いようのない事実を資料に基づいて押さえてくれるほうが、説得力は――すくなくとも多くの人にとっては――あるでしょう。

全然関係のないギリシャ語の哲学文献や現代哲学の文献を持ち出して高みから比較するのも結構ですけど、事実としてその文献とつながっている証拠を持ち出してくれた方が、なんぼかましです。

prameyaはpramanaに依存するので、まず、pramanaについての自己反省が必要というのはそうですが、そればっかりだと萎えます。

私が知りたいのは我々自身が無意識に前提としている常識や、あるいは、西洋哲学で有名な(あるいは有名であるべき)何らかの知見ではなく、インドの哲学ですからね。

さっさとインドについて論じてくれ、と思ってしまいます。

源氏物語について知りたいのに、延々と英文学の話を冒頭でされたら「?」となるでしょう。

飛び道具としては面白いですけど。

ともあれ、博論というのは、就職のための重要なステップですから、そこで就職したければ、そこの流儀に従うべきでしょうから、そのようなスタイルを差し挟まざるを得ないのは仕方ありませんけど。

それやらないと、作法を踏まえない人として、端から切り捨てられてしまいますからね。

それっぽくやる、というのは、どこでも(就職するためには)重要です。
  1. 2021/11/26(金) 08:28:36|
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授業形態



対面が基本というか、本当は、対面じゃなければいけないんでしょうけど――通信制とは違いますから――しかし、ここまで普及してしまうと、いまさら、そのよさをいかさないという手はありませんから、授業によっては、オンラインのみというのもありなんでしょう。

その利点は、たとえば、非常勤における遠くの先生の招へいということにもかかわります。

リアルだと、非常勤も、毎週来れる人は限られますからね。

また、集中講義だと、どうしても、15回を一週間でやるということになりますから、やはり、毎週とはかなり違うものとなります。

オンラインだけでもオッケーという現状が、もし、今後も一部において許されるのであれば、非常勤の先生の選択肢はひろがるでしょう。

非常勤枠を使うのに、やはり、可能であれば、毎週の方が集中よりいいに決まっています。

しかし、糸島まで毎週来れる印哲関係者なぞ、数少ないですからね。

いずれ、コロナが収まった時には、「原則対面」「対面に戻すこと」みたいな声が大きくなるのかもしれませんし、実際、現状では、ハイブリッドという折衷策が多いような現実ですが、それは、先生にとっては対面で教室にいなければいけないことを意味します。

しかし、非常勤の先生の場合は、オンラインオンリーだけでもオッケーというようなことにしてもらえると、ぐぐっと選択肢が広がる気がしますけどね。

東京や関西圏なら、別に、ちょちょっといけばいいでしょうけど。

東広島もそうでしょうけど、糸島となると、やはり、人によっては――というか寮に住む以外の99%の人にとっては――、かなり遠いですからね。

非常勤の枠も減る中、地理的特性と人的資源の偏りにより不利をこうむってしまうことを解消するのに、ネットは最適な解決策ですが、どうも、そのようなことは、あまり考慮されないんでしょうかね。

なにしろ、身の丈発言を見るまでもなく、首都圏中心の発想が往々にして政策をたてるにあたっては念頭に置かれますからね。(まあ、いずれ、文科省から、4月以降の授業形態の在り方について、なんらかの指針が示されるのかもしれませんが。なにしろ、授業料施設料返還云々の話が一部の私大で問題になってるくらいですから、ことを収めるには、ハイブリッドということになるでしょうし、それは、先生にとっては対面で教室にいることを意味することになります。)

対面に戻せという意見が多くを占めるかと言うと、現実には、うちの場合、たとえば、ハイブリッドにすると、実際に教室に来るのは10人登録者がいても1人とかだったりしますからね。

それが何を意味するのか。

つまり、わざわざ遠くまで高い交通費かけてきたくないというのが、共通する本音ということでしょう。

慣れちゃいましたからね、オンラインに。

もちろん、対面のよさは、みなさん、意識しつつもでしょうけど、では、いざ、ハイブリッドでやると、現実問題として、そういう結果になるということは、現実主義の立場から冷静に見るべきでしょう。

どう考えても、全部全部、対面オンリーということになるようには思えません――なぜならオンラインのほうがいいという学生は必ず一定数いると思われるので。

というわけでのハイブリッド。

しかし、非常勤の選択の幅という視点からみると、それはまた、ベターな方向にいける道を、不必要にふさぐことになってしまいます。

まあ、あくまでもオンラインは、その場しのぎの弥縫策というのが原則的な立場でしょうけど、しかし、思い切って原則を見直すことも必要かもしれません。

対面という原理原則にこだわっていると――つまり通信制とは違うのだ、という表面にだけ囚われていると――、本質を見失うことにもなりかねません。

すべては学生の教育の質向上のためにありますから、質の高い教育が提供できるのであれば、その形態だけにこだわるべきではないでしょう。
  1. 2021/11/23(火) 17:36:03|
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